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Terra yoga~寺とYOGA~

穏やかで平和な心、本来の自分を取り戻し、地球に優しい、そんなyogaをお届けします。~自然や動物たちとしあわせに暮らせる世の中になりますようにと願いを込めて~
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ヨーガインストラクターへの道から真のヨーガ道へ ~死の準備~

「死の準備」

美しく死ぬために。

そして、愛する者を失ったとき、それを受け入れることのできる準備をすること。


肉体には限りがあります。

純粋意識(魂)が肉体に宿り、この世に生を受け

さまざまな経験を経て魂を成長させていきます。

そしてたくさんの経験が刻まれた魂は、

やがてその故郷へ戻っていきます。

肉体は滅びても、魂は永遠に在ります。

これは誰にも変えることのできない自然の摂理です。


仏教にも「諸行無常」という言葉があります。

ブッタの教え「無常観」です。

「経典では、人間が「生あるものは必ず死ぬ」という赤裸々な事実や現実をそのまま受け入れたとき、そこにある種の深い感動が生まれ、そこから感嘆がわき出てきます。

それが無常だといっています。」

~仏教の教えより引用~


自然の摂理、自分が必要な時に起こるさまざまな現象、

それらを甘受、諦念し、しっかり前を向いて歩んでいく。


深い悲しみ、苦しみと言った現象が起き

一旦はそれに心揺れ動かされたとしても、

その出来事にきちんと向かい合える本来の魂の強さを取り戻し

立ち直ることのできる心と肉体を養う。

その方法が、ヨーガにあるということを、samatwayog主宰のヨーガの師が教えてくれました。


そして、肉体は永遠ではないのだということに気づき、

限りある人生の中でどう生きていくか、

自分の最期をどう迎えるのか、

それらもヨーガで学んでいきます。

人生をより豊かにしていくために。

凛とした心と体、愛や思いやりといった慈悲の心を育むために。


~真理を正しく理解していくこと。~

このことが、より素晴らしい人生を生きるためにとても大切だということを学ばせて頂きました。


この気づきに感謝の気持ちを込めて。


合掌
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ヨーガインストラクターへの道から真のヨーガ道へ ~別れの恐怖~

私は死に対する恐怖を抱えていました。

それは、愛するものを失う死に対する恐怖

そして、自分の死によって守るべきものたちを残して逝かなければならないといった恐怖や不安です。

特に大病を患っている体でもなく、生の制限をされているわけでもないのに・・・
かなりの妄想癖ですね。笑


-3.11東日本大震災。

当時私は東京都心に住んでおり、地震が起きたその後、外出先から愛猫の安否のことだけを脳裏に浮かべながら、
余震で揺れる道を、ただひたすら必死に歩き続けました。
自分の持っている最大限の速さで。

ようやく辿り着いた部屋の扉を開けると、その中の様子は食器棚が見事に倒れており、食器のほとんどが割れた状態、
そして、愛猫用にたっぷりのお水を入れていた容器が倒れ、部屋が水浸しになっていました。

愛猫は無事でした。
しかし隠れてなかなか姿を現しませんでした。

幸いこの程度の被害で済みましたが、
この出来事は、いつ何が起こってもおかしくないのだ・・・といった現実と恐怖が強く脳に刻まれた瞬間でもありました。

この日を境に、愛猫を残して外出するのが怖くなりました。

外に1歩出たら、何が起こるかわからないそんな危険なことはできない…と、
おかしな考えをした自分が誕生していました。

私のような状況でも、脳は混乱をし、恐怖に押しつぶされそうになったのだから、
もっとひどい被害を受けられた方々のことを思うと、やるせない気持ちに胸が痛みます。

祈りと光



そして私は、死別のみならず、
親兄弟などを始め、愛おしいもの達との生き別れにさえも、悲しみを覚えておりました。

海の向こうに住む妹家族との別れは、毎回、寂しさと悲しみに包まれてしまいます。
今生の別れではないのに。


仏教には「愛別離苦」という言葉があります。

仏教の経典に記された八苦のうちの一つになりますが

愛するものとの間柄に起きる、生別、死別による苦しみ悲しみ辛さを言います。

思い通りにならない世の常のことも、この言葉の意味には含まれています。

まさに自然の摂理です。


私はこの「愛別離苦」の感覚、感情に支配されていた状態で、

それらがどうして起こるのか、

それらをどうしたらコントロールできるようになるのか無知でした。

そしてそれを知りたくて

samatwayog このヨーガの師の個人レッスン初日に、死に対する思いについてお話をさせて頂きました。


するとヨーガの師は教えて下さいました。

「ヨーガは死の準備」だと。

この言葉は衝撃的でした。

このお話はまた次回に。


話は戻りますが、3・11の出来事により

私は、一日一日を大切に丁寧に生きることの大切さを改めて学ばせて頂きました。

一人一人の出会いを大切に。

今この瞬間を大切に生きること。
一生懸命に。

明日、何が起きても不思議はないのだから。

後悔は最小限に。

しっかりと自分の成すべき役割を果たしながら

魂を成長させて生きること。


それが、死への準備にもつながっていくのです。

祈りの画像①

ヨーガインストラクターへの道から真のヨーガ道へ ~自己との対話~

samatwayog ヨーガの師に出会ってたった2回目のときのことです。

2回の単発講座終了後、私はヨーガの師を前に

「ヨーガイントラクターを超えたい」

そんな言葉を発していました。


なぜそのような言葉があの時ふいに口を衝いたのでしょう。

今思うと恐れ多いのですが。笑

心の奥(魂)から自然とあふれ出た言葉だったということは、今でも記憶に残っています。


そこから私は、ヨーガインストラクターへの道から

本当のヨーガの道を歩み始めています。



何故、私はヨーガを学ぶのか?

何故、ヨーガの指導者になりたいのか?

ヨーガの指導者になってどうなりたいのか?

ヨーガというツールを使って何ができるのか?

一体何ができるのだというのだろう・・・

果たして自分に務まるのだろうか・・・


私は何のためにヨーガをするのか?

それで何かの役に立てるのか?


―自分の中にというものがあるのか―



生徒様から「気持ちいい」と言ってもらいたいため?

「スッキリしました」「楽しかったです!」「癒されました」などの声が聞きたいため?


確かにそれらの言葉も有難い励みのお言葉です。
次、また頑張ろうと、ものすごく力を頂きます。
おかげさまで感謝の気持ちが芽生えます。


だけれども、本当の私が目指すところは一体どこ?

生徒様が一時的に体がスッキリして、一時的に心が軽やかになれば、それでいい?


真剣に、自分と向き合う旅が始まりました。



私は、ヨーガインストラクターの勉強をしているとき、心の奥で漠然とした何か・・・

悶々とした気持ちがずっと消せずにおりました。

資格を取得しても、ヨーガでお仕事をしようという意欲が不思議と湧いてきませんでした。

一体なぜ?

それは、資格を取得しても、自信がなかったからです。

体を動かすエクササイズ的なことはかろうじて教えさせて頂くことはできたとしても、

本当のヨーガを教えることはできない。


・・・あぁ私はヨーガの何も知らなかったのだ。。。

そのことに気づいたとき、悶々とした気持ちがサーッと離れていきました。

「ヨーガの何も知らなかった」

それに気づかせてくれたのが、Juna先生(ヨーガの師)でした。



ヨーガとは、生き方そのものであり、生き方の智慧であります。

ヨーガの実践を通して、本当の自分、本当の力を顕在化させ、魂を成長させていくのだそうです。

そして、魂を成長させるために、どんな状況にも耐え得る肉体と精神を養うためのツールがヨーガです。

自然の摂理を受け入れるために正しい真理を学び、生きる力を育む。

そんな壮大な智慧を、そう簡単に学べるわけがありません。


これは、大きな気づきでありました。


もし私がこのお教室に出会わなかったら、未だ悶々とした気持ちを抱えたまま、

さまざまなヨガスタジオやヨガのワークショップをさまよい続けていたかもしれません。



遠回りをしないように、正しい道へと導いて下さる師の存在はとても大切であり

心の支えであります。


そして今私は、核となる部分と向き合っています。

その核となる部分、その答えは、すでに心(魂)の中にあります。

心の奥底に身を潜めているだけです。


あとは一枚一枚、その核を覆っている余計なものをそぎ落としていくだけ。

氾濫している情報に惑わされないように、

師が照らしてくれる道標をたどりながら。

光りの道①

ヨーガインストラクターへの道から真のヨーガ道へ ~本当の始まり~

目には見えない何か。

目には映らない大いなるものの存在によって導かれたこの道。

そして正しい方向へと導いてくれる目に映る存在であるヨーガの師の下で、

2014年4月、私はヨーガインストラクターのための道をやり直すことを決断。

そしてその翌月

samatwayog主宰Juna先生(畠山桂子先生)との個人レッスンが始まりました。


遡ること約6年前―

どうせヨーガをするならきちんと学びたいという気持ちから、

ヨーガの何も知らない赤ちゃん(実際はもういい大人でしたが(笑))が、

とあるヨーガ教室でティーチャートレーニングを受けることにしました。

いきなり。笑


そのヨーガスタジオはとても素晴らしいお教室ですが、当時の私にはその良さがあまり伝わって来ませんでした。

1年間そのスタジオにお世話になり、その後は次第に足が遠のいていっていました。

・・・素晴らしいヨーガスタジオなのに何故その良さがわからなかったのか。

今ならそれはわかります。

その時の私は、ヨーガのティーチャートレーニングを受ける器も準備も足りなかったからです。


受け入れられる準備が整って初めて、

そのお教室と自分とのエネルギーが調和し、

素直にその素晴らしさが伝わって来る。

そして、自分に必要な場所だということを認識することができる。

身を持って得た体験からの気づきでした。


一時、その場所その空間その人物に違和感を感じるときがあるかもしれません。

もしかしたらそれは、それに対応できる準備がまだ出来ていない、

あるいは時期ではないのかもしれません。


一旦足が遠のいても、準備ができたら、時期がきたら、そこに戻りたいという気持ちが自然に浮かび上がってくるかもしれません。


私は、さまざまなヨーガスタジオを渡り歩き、

現在の師と出会い、

このことを過去の経験から学び知ることができました。


そして、何も無駄なことはないのだということ。

その経験からきちんと学びを得て、次に生かすことができたのなら。

IMG00115.jpg

ヨーガインストラクターへの道から真のヨーガ道へ ~出会い~

 現在私はお陰様でヨーガインストラクターというお仕事をさせて頂いております。
これまでの道のりを、同じヨーガインストラクターという肩書をお持ちの方、
そしてヨーガにご興味のある方などに、少しずつお伝えさせて頂きたいと思い、
「ヨーガインストラクターへの道」を綴らせて頂くことにいたしました。

―お心に留まりますようにと願いを込めて―



今でも何のキーワードで出て来たのか思い出すことが出来ません。

2014年3月のこと。

ヨガインストラクターへの道に迷いがあったその頃、ネット検索をしてヒットしたのがこちらのお教室

samatwayogでした。


そのお教室で開催された講座の内容は興味のあったものであり、参加を決意しましたが、

巷に溢れているヨガスタジオのノリでお教室を訪れたことを今でも覚えています。

しかし訪れてみて体験した肌身と心の奥深いところで感じる「他のヨガスタジオとは何か違う…。」といった感覚。

そして、何とも言えない内から湧き上がる感情と心を揺さぶられるお話に、

講座終了後はもっとこの先生のお話を聞いてみたいという衝動に駆られていました。


その時はこの出会いがまだ、

本当のヨーガの師との出会いだとも、

自分がヨーガでここまでお仕事させて頂けるとも夢にも思ってもいませんでした。


この衝撃的な出会いこそまさに、お導きであったのかもしれません。

大いなるものからの計らい。

私はこのお導きによって、正しいヨーガを学ぶ機会を与えて頂いたのかもしれません。