Terra yoga~寺とYOGA~

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般若心経による意識の浄化講座 ⑥

7月20日の日曜日は、般若心経講座の第6回目でした。
その気づきや感想をお届けさせて頂きます。


テーマは「許し」


第6回目の般若心経講座は、参加者によるワークから始まりました。

そのワークとは、今までの自分と向き合い、心の奥底に眠っている否定的な部分と肯定的な部分を書き出すといった深い内容のもので、作業は大変でしたが、実に和やかに笑い声が響き渡る中でのワークタイムとなりました。

まさに講座名通りの、意識の浄化となりました。


般若心経による意識の浄化講座も終盤を迎え、第1~5回までの講座では、いかに私たちは無意識に、過去の記憶や自分が勝手に造りだしたイメージや思い込み等で物事を判断し反応し行動しているということに気づかされました。


客観視をすることの大切さ、すぐに反応するのではなく、一呼吸置く大切さ、心を落ち着かせ、静けさの中に身を置く大切さ(瞑想)を、しみじみと感じました。

そして無意識の状態ではなく、常に意識的に生きることを心がけ、冷静に、正しく物事を見極めていく目をこれからも養い続けて行く必要があると感じました。


「苦」からの解放。

まずは、人間の脳のシステム、「受想行識」の働きを知ること。

そして、外界からの情報で起こす反応や、自らが造りだす想像は、すべて幻想であると認識すること。

過去に刷り込まれてしまった記憶は体験し、はき出し、綺麗にお掃除をしてしまうこと。

「受想行識」の働きを、受(五感作用)で止めてしまうこと。

あるがままの自分を受け入れること。

そして、許すこと。


私たちがこの世に生まれて来た意味、それは本当の自分を思い出し、ありのままの自分を取り戻すことです。


自分が他人の目にどう映るのかと、体裁ばかりを気にしていると、本来の自分、ありのままの自分に出会うことができないと言います。

良い仕事に就いている自分、裕福な自分、高価なものを身に着けている自分、容姿の美しさを追求する自分…etc、名誉や肩書などといった条件づけられた自分。

その条件づけられた自分を手に入れていると、自信に満ち溢れ、安心した感覚を覚えるでしょう。

しかし、実は、外界からの条件づけられた自信というのは、条件を失った時にすぐさま崩れ去ってしまう、なんとも脆いものであるということに私たちは気づかなかればいけないと思いました。

なぜならそれは、条件づけられた自信を失った時、条件づけられた自信を真実の自信と信じて疑わなかった人間は、不安や恐怖に包まれ、「苦」の中に身を投じてしまうことになり兼ねないからです。


他人からの評価を気にしたり、「こうあるべきだ」など要求する心に捉われる(執着する)と、苦しみを生み出してしまいます。

執着を捨て、許すことで、苦から解放され、心の自由を手に入れることができるのだそうです。

それは、本当の幸せであり、内なるゆるぎない自信の芽生えであります。

他人からどう思われているかではなく、好き嫌いの判断をすることなく、あるがままの自分を受け入れ、自分が自分をどう見る かがとても大切なのだと思いました。


喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、すべて自分の心根という心の根っこが造りだしているものにすぎず、それらはただ単に外からの情報に反応しているだけのことだと教えて頂きました。

それらの反応を示したとき、まるで映画を見ているかのように、客観的な見方を訓練していくことが必要だと思いました。

起きている状況を、冷静に、遠くの方から、映像を眺めるように。


人間は、さまざまな体験をするために生まれてきているのだそうです。

ネガティブに反応してしまった感情も、ただの体験。

そういう体験が必要だったから。

ただそれだけのこと。


人と比べたり、憎んだり、嫉妬したりする否定的な感情に対して、相手に感情の矢を向け続けることなく、そして自己嫌悪に陥ることなく、その感情を持ってしまった自分を許し、その捉われ(執着)を手放すことが、心を楽な方向へと導いてくれます。

その感情は、外からのきっかけにより、脳のシステムが働き、反応しているだけのことにすぎないからです。

自分の中に元々持っていた否定的な心の芽が、外からのきっかけにより成長してしまっただけのことだからです。


外側に拠り所を見出すのではなく、自分の内なる強さに気づき、自分を信じること。

そうすることにより、本当の喜び、慈しみの心、真の力を取り戻すことがで きるのだそうです。


自分を許すこと。

自分を許したとき、怒りや憎しみといった感情をぶつけていた相手を見る目に変化が現れるのだそうです。

自分を許すとは、相手を許すことに繋がるのだそうです。

相手を許すとは、自分を許すことに繋がるのだそうです。


すべては自分。

自分の中にある。


ありのままの自分に出会う旅を、般若心経の講座が終わっても、続けて参りたいと思います。

その方法を知ることができましたことに、心より感謝申し上げます。
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般若心経による意識の浄化講座 ⑤

7月3日に行われた般若心経による意識の浄化講座
第5回目の感想文になります。


テーマは 「ありのままの自分を受け入れる」


般若心経の講座が始まってからもう5回目になります。

時の経つのを忘れてしまうほどの深いお話が、第5回目でも行われました。


今回は、第1回~4回までに得た知識を、実践し、自分を変えていく方法を教えて頂きました。


その方法は、ズバリ『客観視』です。


よくこちらのお教室のヨガレッスンで耳にする言葉です。

私たちが生きていく過程でぶつかる壁などに対し、冷静に対応できる精神を、ヨガレッスン を通じても鍛えて下さっています。


客観視するということは、自分の言葉や行動を意識するということになります。

自分の言動に対して、もう一人の自分が遠くの方から眺めている…、そんなイメージです。

普段そんなことをせず、のほほ~んと無意識に生きている自分に改めて気づかされました。


言動を意識化するということは、常に自分を見ていることになります。

例えば、チョコレートを食べ続ける行動に対して、「なぜ私はこんなにチョコレートを食べてしまうのだろう」と、客観視すること。

言葉に関しても、「嫌い!」と言った言葉に対して、「なぜ私は嫌いと発言しているのだろう」と、発言した自分をもう一人の自分が距離をお いて観るということです。


そして、瞑想も客観視を訓練する非常に良い方法になると言います。


意識的に生き、客観視すること、そして瞑想を行い、それらを実践し訓練していくことにより、”気づき”の力がついてくるのだそうです。

そしてその能力が身に着くと、その気づきからさらにその先の何かが見えてくるのだそうです。


気づくということは、気づいたその時点で良い方向へと修正できることへとつながっていきます。

それが、「苦」から解放される方法なのだそうです。

”気づき”はとても重要な能力だということを改めて認識いたしました。


そしてもう1つ、「因果と縁起」についてのお話も、とて もためになりました。


「花は、花の”因”があるから、木や土、太陽という”縁”を条件に花を咲かせます。実際に、花を咲かせているのは、水や土、太陽ではなく、花が花になる”因”があったから咲いたのです。」~般若心経講座テキストより~


たしかに、急いでいるとき、前に歩く人がゆっくり歩いていたらイライラするのに対し、急いでいないときは差ほど気になりません。

すべては自分の中に原因があり、今まで起こしていた反応は、外の要因ではなく、自分の内側から湧き出たものだったのだということに、少々愕然とした気持ちになりました。


イライラや怒り、執着といった負の感情に陥っているときこそ、気づけるチャンスだと言い ます。

負の感情に陥った時、それに憤りを感じるまま時を無駄に過ごすのではなく、一旦立ち止まり、なぜ自分はそのようは感情に陥っているのかと客観視をすれば、同じ過ちは繰り返さずに済みます。

自分にとって嫌な出来事であったとしても、「気づかせて頂きありがとう。」と感謝をしなければならないと思いました。


苦しいときや壁にぶつかったときこそ、自分が成長し変れるチャンスだと思い、日々感謝して過ごして参りたいと思います。

般若心経による意識の浄化講座 ④

般若心経による意識の浄化講座の感想文、本日は4回目のものをお送りさせて頂きます。

毎回内容の濃い講座のため、感想文も毎回長くなってしまっておりますが、
長文にも負けずお読みくださっている方々にも、良き気づきがありますようにと願っております。



6月最終日の今回は4回目。

テーマは 「自分の宇宙」



この日は朝から「聖なるサットサンガ朝の瞑想会」があり、それにも参加させて頂いておりました。

朝の瞑想会の中にすでに、般若心経にも通じる仕掛けがされていたことに気がつきました。

朝の時点から、もう般若心経は始まっていたのですね。

このお教室には、次へつながる沢山の仕掛けがあります。


今回のテーマは「自分の宇宙」

苦から自分を解放するための『空』の理解。

苦は一体どこから、どうやって生まれてくるのだろうか…。

どうして人間は苦から逃れることができないのだろうか…。

『空』の理解を更に深めていく、さらなる核心に迫った時間となりました。

まず私が最初に思ったことは、「信じるものは救 われる」ということ。

これ!というものに出会えたら、それを疑うことなく、まっすぐに信じ、行動し、ただひたすら突き進む。

一瞬の迷いも隙も見せてはなりません。

それが、苦から逃れられ、目的を達成し、しあわせへとつながっていく方法なのだと確信いたしました。

聖なる創造主が、複雑な脳のシステムをつくってくださったことにより、私たちは情報を捉えるたび「受想行識」という脳処理システムが瞬時に働き、その通りに心も体も動かされ支配されています。

それは機械に操作されているのと同じです。

情報は「色」、つまり肉体や物質、物質現象といったもの。

情報とは、「外界によるもの」「過去の記憶」「想像(イメージ)」の3つに分けられ、さまざまな情報(色) によって私たちは反応しているわけです。

しかしそれは、実はすべて”自分がつくりあげた世界”=”実体がない”ということに私たちは気づかなければならないというところに行きつきました。

情報によって反応しているその反応は、好き、嫌い、楽しい、悲しい、などといった心の反応、と同時に血流や内分泌系(ホルモンや自律神経)といったことから起こる体にも影響を及ぼしているのだそうです。

その情報に、この世界中の誰もが同じ反応を起こすでしょうか?

同じ映画を見て、同じシーンで、同じ反応をしているでしょうか?

涙を流す人もいれば、平然としている人がいたりしませんか?

つまりそれは、”自分の中にある世界(宇宙)”からつくられた反応だからで す。


自分の理解を整理するために、少しまとめてみました。

・「外界によるもの」の反応…例えば、ゲームセンターが好きな子供がいるとします。UFOキャッチャーを見てワクワクし、やってみたい!と行動に移し、商品をキャッチできなかったとき、がっかりした気持ちが起こります。ゲームセンターやUFOキャッチャーを引き金に、心や体が反応をしています。

・「過去の記憶によるもの」の反応…例えば、苦手な上司がいて、休日に道端でその上司を見かけたとき、苦手という記憶から、嫌だなと思ったり、嫌な汗をかいたりするかもしれません。その上司という存在が引き金となり、心と体に反応を起こしています。

・「想像によるもの」の反応…例えば、「明日、朝早 くから重要な会議があるのに、寝坊をしたらどうしよう…」と未来に対する不安。まだ起きてもいない先のことに不安がったり心配してみたりします。重要な会議が引き金となり、まだ起きてもいない未来のことを自分の世界観で自ら造りだし、それを想い煩うといったことが心と体に反応しています。
何もないことから、あることないことさまざまなことを想像し、生み出している行為がそれにあたります。

私たちは、このように知らず知らずのうちに無意識に、条件反射を繰り返しているのだそうです。

パブロフの犬のように。

私たちは、悲しいかな同じパターンで生きているというわけです。

わかっちゃいるけどやめられない…。

そのわかっちゃいるけどやめられないという同じことを繰り返す連鎖反応に気づくことが、パターン化されている悪癖や悪習、そして「苦」から逃れられる第一歩なのだと思いました。

気付いた時点でスタート地点に戻り、同じ反応をしないように受想行識を変え、行動していけばよいのです。

それには、この世は「空」(実体がない)だと理解を深めることが必要になります。

長年染みついてしまった癖はなかなか戻らないかもしれませんが、苦しみから解放され幸せな人生を送りたいのならば、そのパターンに気づけるよう日々意識を持ち、客観視して過ごしていくことがとても重要だと思いました。

諦めずに強い意志をもって挑むこともまた大切なのだと思いました。


それから、外界にある現実性もまた、人それぞれ異なる反応を示します。

猫が大好きな人にとっては、猫に出会うとすぐ反応するのに対し、猫のことを何とも思っていない人は、猫が目の前を横切ったとしても、何の反応も示さないでしょう。

一方では猫は存在するものと認識し、もう一方では存在しないものとに分かれています。

猫が好きな人が起こす反応と、猫が嫌いな人の反応が全く違ったものになる。

まさに、人それぞれ、自分の中の脳のシステム(世界観・宇宙)によって、物質世界がつくりだされ、あたかも真実と思っているかのように自分が作り出した世界を目に映し出し反応しているのです。

同じように見えているのかと思っていたものが、そうではなかったという事実に何だか不思議な感覚を覚えま した。

真実(真理)というのは、常に一定であり、永遠であり、変わらないものであると言われています。

ということは、今起きている反応は、状況に応じて(情報により)変化するのだから、実は何もないもの、実体がないことになります。

それが『空』なのだそうです。

実体がないのならば、なぜそのことに対し、思い煩う必要があるのでしょうか。

変化するものに反応を起こさなければ、苦しむことはないのだと教えて頂きました。

すべては自分。

自分が変われば、世界は違った角度で見えてきます。

「観自在菩薩が心や体、物質はすべてが空(実体がない)であるということを悟り、あらゆる苦が克服された」と般若心経に読み説かれていることを理解し、そのことを信じること。

そして、受想行識が働いた結果の反応に動かされそうになったとき、一呼吸おいて、自分の内側に意識を向け、それを客観視することを続けていれば、平穏な心としあわせを手に入れることができるように思いました。

朝の瞑想会で行われた読書会で、疑うことなく、信じることの意味を伝えて下さったことが、このときつながりました。

知恵を学び、意識的に生き、これからも瞑想を続けて参りたいと思います。


以上になります。
最後までお読み下さり、どうもありがとうございました。

般若心経による意識の浄化講座 ③

本日は、第3回般若心経意識の浄化講座の感想文をお送りさせて頂きます。



6月22日の今回は3回目。

テーマは 「空」



第3回般若心経は、いよいよ核心に迫る「空」がテーマでした。

前回のテーマ「苦」で思い知らされた衝撃的な人間の脳のシステム。

私たちは脳からの指令により動かされており、それは、過去からの記憶によるものに他ならないという事実。

今おしゃべりをして反応しているその言動も、虫を見て反応を起こす態度も、悲しい苦しいという否定的な感情から喜びや楽しみといった肯定的な感情まですべて、

頭の中のシステム(受想行識)が一瞬のうちに同時に働き引き起こしている 反応だということを教えて頂きました。

そのことを知らずにいたら、脳にコントロールされるがままの人生で終わってしまっていたかもしれません。人間が作った機械のように。


今回も、その重要なテーマ「苦」から入りました。

創造主の手により、人間とはいかに複雑に造られ、その複雑さ故に、苦しみや悲しみといった負の感情を自ら作り出し、反応してしまうということを再確認いたしました。

そしてそれは”幻想”であるということに迫りました。

否定的な感情や肯定的な感情、感じ方、考え方、ものの見方は、人それぞれ個人差があり、10人いたら10通り。

それは、個人個人、過去に体験した記憶を通して反応を起こ しているからで、今まで体験したことで色づけされ、私たちはこれまでの人生を歩んできていたのだということを知りました。

すなわち、「生きる」とは「体験」することで、その体験を通して、良いことも悪いことも脳に刻まれ、その大半は、無意識の状態で脳に刷り込まれているということを教えて頂きました。

過去からの記憶により、何度も何度も癖のように同じ反応を繰り返していたのだと知り、気づいて良かったと思いました。

なぜなら、苦しいと感じていた反応が癖ならば、気づいた時点で変えることができるからです。


機械と違い、人間の私たちは考える能力が備わっています。

その能力をうまく使い、智慧を学び、賢く生きることが、しあわせに生 きるということにつながっていきます。

しあわせに生きるためには、過去の記憶を新しい記憶へ塗り替えること。

この世に起きているすべてのことは、「空」であることに気づくこと。

それには智慧が必要であり、その智慧を受け入れられる器が必要であり、それを実行(体験)できる強い自分が備わっていないと果たすことができません。

そして、客観視する能力がKeyになっています。

ヨガはそれらを可能にしてくれるということを、再認識いたしました。


昨日の講座のテーマは、「空」

実体のないもので、「色」とは肉体を含む物質や物質現象のこと。それら2つは同じ意味をなすということを学びました。

実体のないものは形あるもの、形あるものは実体のないものと同じである…と。

道端に咲く花も、何かに気を取られていたら、花の存在に気づかずに通り過ぎてしまいます。

花(物質)があったとしても、それを認識しなかったら、ないもの(空)と同じなのだということだそうです。

そして、起きている現象は、単なる受想行識による心の働きによる結果であって、本質ではないということ。

受想行識(ものの見方)が変われば、心の働きは変化し、受想行識のシステムが止まれば、目の前で起こっている現象はないものとなる。

まさにこの世は自分が作り出している幻想の世界であり、「空」実体のないものであるということに、腑に落ち始めています。

私の場合、愛するものへの執着心がわりと強い傾向にあり、それを失う悲しみ、辛さに苦しみを覚えます。

それは、前回学んだ我欲(自分だけの利益・満足)からくるものであるような気がしました。

この世に生まれたものは誰もが死に向かって生きているわけであり、寿命は誰にも変えられるものでないからです。

その決められた寿命を自分のエゴでどうにかしたいという気持ちは、自分にとっての利益であるということに気がつきました。

自分だけの利益は苦しみを作り出すのだということを忘れることなく、空の境地で歩んで行けるよう、智慧を学び、賢くありたいと思いました。

過去の古い記憶を新しい記憶へと塗り替える方法として、瞑想が 助けになるということを教えて頂きました。

瞑想で、受想行識を体験し、他人のように観(客観視)、人間をお造りになられた創造主へとお返ししていこうと思います。

般若心経の講座とヨガから、少しずつこの世の見方が変わり、人生に変化がもたらされていることを実感しております。

私はそのことをとても嬉しく思います。

般若心経による意識の浄化講座 ②

昨日からシリーズでお伝えさせて頂きております 「般若心経による意識の浄化講座」 の感想文。

本日は第二回目の気づきと感じたことについての感想文をお届けさせて頂きます。



6月1日より始まった「般若心経による意識の浄化」


6月8日の今回は2回目。

般若心経をこうして学ばせて頂ける良いご縁に恵まれましたことに、心よりお礼申し上げます。


さて、その般若心経の講座ですが、昨日は般若心経第2回目でした。

テーマは「苦」。

気付けば幼い頃から私は、生きていること自体が「苦」

苦しいものと感じていたように思います。

楽しいことも、どこか心の奥底では素直にそれを楽しいと感じることができず、

すべてにおいてが「苦」の出来事。

「苦」の連続だったように思います。

まさに生そのものが苦痛、苦労という感覚で生きておりました。

これまでの人生、紆余曲折は自分なりに経験をしてきておりますが、

特に大きな悲しい出来事 に見舞われたこともない自分が、

何故このような感情を抱くのか、不思議でなりませんでした。

それが昨日解明された日となりました。

それは私にとって衝撃であり、また希望でもありました。

その衝撃的事実は、
すべては「脳」からの指令によって私たちは動かされているということです

自分の言動、行動もすべて。

人間の手によってロボットやコンピューターといった機械が作られているのと同じように、

神様の手で私たち人間は創られました。

違いは感情があり、自分の考えで動くことができるということです。

その考え、思考は、実は「脳」がコントロールしており、

そのつくられた(与えられた)システムにより、

想像するこ とも、

感情が沸き起こることも、

行動することも、

判断することも、

認識することも。

すべて突き動かされているのだということを知りました。

その事実を知った時、コントロールされるがままで人生終わりたくないと思いました。

コントロールされるがままで動いていたら、人間が作った機械と何ら変わりないのではないかと…。


私たちは一見「自由」を手に入れているように思われます。

好きな物を買ったり、好きな食べ物を食べたり、

旅行に行ったり、色々なことを学んだり、

自由がそこらじゅうに溢れています。

しかしその「自由」とは、煩悩からくるものなのか

五感の満足や利益からくるものなのか気づかずにいると、

それはいつしか「苦」に変化してい きます。


今までの私の楽しいと感じていたことは、五感の利益から の自由だったのだということに気づかせて頂きました。


まずは「気づく」こと。

「無自覚」であることは苦の根源だと学びました。

人間としてこの世に生を受けたものは誰しも、このシステムを持っているということになります。

「脳」に支配される生き方ではなく、智慧を学び賢く生き

本当のしあわせ、

豊かな人生を歩むためには、日々、意識をし、感じ

客観的に観ることのできる自分を訓練していく必要があることを痛感いたしました。

そのために私はヨガをします。

なぜなら、ヨガは心を豊かにし、しあわせへと導く方法だからです。

ヨガに出会えて本当に良かったと思えた1日でありました。


上記が第二回目の講座を受講した後に書いた感想文になります。

この感想文を読み返し、気づいたことを書かせて頂きます。

それは、私たちは「五感の利益」からでは「苦」から逃れることはできず、
そこに捉われると、執着という形に変わり、新たな「苦」を招くということです。

例えば、苦しい状況から逃れたいがために、美味しいものを食べに行ったり、お酒を飲んだり、買い物したり、友達とわいわい騒いでみたり、旅行に出かけたり・・・etc(五感の満足)を繰り返していても、気が紛れるのはその時だけ。

そのときは忘れられたとしても、それは苦しいという状況に蓋をしているだけ。

根本的な治療をしないと、対処しただけで終わり、また苦しいという感情は繰り返し襲ってきます。

同じ場面に遭遇したとき、また同じ反応を引き起こします。

なぜなら私たちは過去の記憶から反応を起こしているからです。


また、私たちは何でも手に入れられる時代を生きています。

あれが欲しい、ああして欲しい、こうして欲しい、あれが食べたい、今度はここに行きたいなど欲望にかられ、欲望のまま行動していると、もっともっとという気持ちはエスカレートしていきます。

そして、いつしかそれには満足ができなくなり、「なぜ欲しいものが手に入らないの?」「どうしてあの人はこうしてくれないの?」…などといった悶々とした感情が沸き起こり、満足から苦へと変化してきます。

五感の満足に捉われ、支配されている状態です。

その状態は、全ては脳が動かしていることなのです。

そのことに気づき、客観的に観る目を養わなければ、苦から解放されることは難しいでしょう。

智慧を学び、強い意志を持って行動していけば、人生は変わります。


続きは、また次回以降の感想文シリーズでお伝えさせて頂きます。
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