Terra yoga~寺とYOGA~

穏やかで平和な心、本来の自分を取り戻し、地球に優しい、そんなyogaをお届けします。~自然や動物たちとしあわせに暮らせる世の中になりますようにと願いを込めて~
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映画「SAYAMA」を観て 

私は先日、映画「SAYAMA」~見えない手錠をはずすまで~を鑑賞して参りました。

51年前、埼玉県狭山市で起きた女子高校生殺人事件で、犯人に仕立てられた石川一雄さんを追ったドキュメンタリー映画です。

とても衝撃的でした。

同じ世界を見ていても、無実の罪を着せられている石川さんの目に映るものと、自分の目に映るものとでは異なるような気がいたしました。

一日でも早く無実の罪を晴らせますようにと願いを込めて、こちらのサイトでブログを書かせて頂きました。

聖なる科学 お寺でヨーガ教室【瞑想・自己実現】への道
「こころとこころでつうじあう ~思いやりの行為~

たくさんの方の慈悲の心がどうか届きますように。
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精神世界を正しく学ぶ

今日は朝からかなりの雪が降っています。

それも自然の摂理。

自然の摂理とは、大自然のはたらきには抵抗できない、自然の営みや法則のことを言います。

お天気はどうあがいても、自分の力では変えられませんからね。苦笑

そのことに怒りや不満などといった負の感情を抱いたところで、どうにもなりません。


さまざまな出来事に対していちいち反応をしないように、
感情を支配されないように、
ありのままを受け入れられるようになると、
心穏やかに、いつも平静な心の状態でいられます。
これは自分を防御する方法だと思います。

が、そうは言ってもやはり私も人間です。

脳のシステムにより、感情の波が押し寄せてくることもあります。

大切な大切な私の家族、
愛猫りきまる氏が昨年10月に突然この世を旅立ったときは、
自分がこんな状態に陥ってしまうのだということを思い知らされた出来事でありました。

その感情の波にずっとのまれた状態でいたら、本当に恐ろしいことです。

りきまるも安心して旅立つことができなかったでしょう。


愛猫りきまる氏
IMG00339.jpg

ヨーガでは、精神世界の学びがあります。

正しい精神世界を学び

無知を落とし智慧を授かること、

そして真理を正しく理解することで、

より現実的に物事を判断することができるようになります。

そのことにより私は、以前より、さまざまな出来事をありのままに受け入れられるようになってきているように感じます。


愛猫りきまるが魂の故郷へ戻ったときに襲われたあの悲しみや苦しみは今でも忘れられません。

心も体もひきちぎられそうになったあの痛みも。。。

しかし死は決して不幸なことではないということを学んでいたおかげで、救われている今があります。

そして現実を見据えて前を歩いていくことができています。

りきまるに、より生きる力を与えられた・・・
そんな感覚さえ感じています。


正しく精神世界を学ぶことにより、
より現実をありのままに受け入れられるということを身を持って体験したということを
ここにお伝えさせて頂きます。

-愛猫りきまるに感謝の気持ちを込めて-

IMG03441.jpg


真のヨーガ入門 第4回目 ~感じること~

昨日は、samatwayogヨーガ教室で開催されている第4回目の真のヨーガ入門でした。

テーマは「感じる」でした。

お寺でヨーガのサイトにその記事を掲載させて頂きましたので、ぜひご覧いただけますと幸いです。

記事はこちらからになります ↓

真のヨーガ入門 第4回 ~脳のシステムと心の癖~



オススメヨガ>>出張ヨガ 個人

ヨーガインストラクターへの道から真のヨーガ道へ ~死の準備~

「死の準備」

美しく死ぬために。

そして、愛する者を失ったとき、それを受け入れることのできる準備をすること。


肉体には限りがあります。

純粋意識(魂)が肉体に宿り、この世に生を受け

さまざまな経験を経て魂を成長させていきます。

そしてたくさんの経験が刻まれた魂は、

やがてその故郷へ戻っていきます。

肉体は滅びても、魂は永遠に在ります。

これは誰にも変えることのできない自然の摂理です。


仏教にも「諸行無常」という言葉があります。

ブッタの教え「無常観」です。

「経典では、人間が「生あるものは必ず死ぬ」という赤裸々な事実や現実をそのまま受け入れたとき、そこにある種の深い感動が生まれ、そこから感嘆がわき出てきます。

それが無常だといっています。」

~仏教の教えより引用~


自然の摂理、自分が必要な時に起こるさまざまな現象、

それらを甘受、諦念し、しっかり前を向いて歩んでいく。


深い悲しみ、苦しみと言った現象が起き

一旦はそれに心揺れ動かされたとしても、

その出来事にきちんと向かい合える本来の魂の強さを取り戻し

立ち直ることのできる心と肉体を養う。

その方法が、ヨーガにあるということを、samatwayog主宰のヨーガの師が教えてくれました。


そして、肉体は永遠ではないのだということに気づき、

限りある人生の中でどう生きていくか、

自分の最期をどう迎えるのか、

それらもヨーガで学んでいきます。

人生をより豊かにしていくために。

凛とした心と体、愛や思いやりといった慈悲の心を育むために。


~真理を正しく理解していくこと。~

このことが、より素晴らしい人生を生きるためにとても大切だということを学ばせて頂きました。


この気づきに感謝の気持ちを込めて。


合掌

真のヨーガ入門 第3回目

真のヨーガ入門、本日は第3回目でした。

昨日のお天気とは打って変わって、晴れ晴れとした青空広がる良いお天気の中

ヨーガのお教室があるお寺に入ってすぐ目にはったのは梅の花でした。

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そして、可愛い猫たちの姿を発見。

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わかりますか?
塀の上に、左側きじとら、右側しろ×きじとら(長毛)の2匹の猫さん。

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こちらは、光に反射して見えずらいですが、茶白さんです。

このほのぼのとした光景に魅せられ、思わず時間を忘れそうになりました。


さて、本日の真のヨーガ入門のお題も前回同様

「呼吸と動きの連動」です。

2回目と異なるのは下記2点。

①目を閉じて行う。
②目を開けて行う。

これに、動きに幾つか新たなものが加わりました。


おもしろいことに、同じ動きをしていても、感じ方は1回目や2回目と異なります。

その日の心身の状態によっても違ってきます。

人によって、感じ方も異なります。

それは、過去の経験が異なるからです。


そして、常に頭のおしゃべりは続いています。

体の動きと呼吸の実況中継をしていたり、この動きで間違っていないだろうかと不安になってみたり。

さまざまな過去の記憶や人格が介入して来ます。

それぞれの動きにそれぞれの反応を示してしまいます。

純粋に「動きと呼吸を連動させ、それを行う」と言うのは、本当に難しいことなのだと思い知らされた第3回目でもありました。


それから、目を閉じて行うときと、目を開けて行うときの違いもおもしろかったです。

目を閉じて行った方が、視界が遮られ、集中しやすいのに対し、

目を開けて行うと、情報が増え、集中しずらいように感じました。

しかし新しい動きに関しては、私の場合、目を閉じた瞬間不安に襲われました。

先生は一言も「動きを完璧にして下さい。」と指示されていないのに、
私は動きに意識が向き、指示通りに動けているのかに焦点を向けていました。
そして、うまくやろうという働きが生じていました。

過去の記憶の中で、完璧に動作を行わなければならないとか、
上手くやらなくちゃ・・・などと言った、何かがあったのかもしれません。

その記憶が、新しい動きをした瞬間に介入してきたようです。


その他にも、たくさんの学びがありました。

座位と立位のときのエネルギーの違いについて、自動化と意識化について…etc

その中で本日の一番のキーワードは、

・動きのツールに思いっきり色々な人格を介入させること
・色々な自分を見まくること

でした。


このような地道な作業を通して、

自分をコントロールできる術を身に着けていきます。

そして、心身の不調を表面に出る前に気づける感受性と、

真のヨーガ指導者になるために、正しい目を養う訓練を行っていきます。


「炭酸飲料のあの気泡をジーッと見つめてごらんなさい。」

Juna先生が発したこの言葉がとても印象に残った真のヨーガ入門 第3回目でした。

ヨーガインストラクターへの道から真のヨーガ道へ ~別れの恐怖~

私は死に対する恐怖を抱えていました。

それは、愛するものを失う死に対する恐怖

そして、自分の死によって守るべきものたちを残して逝かなければならないといった恐怖や不安です。

特に大病を患っている体でもなく、生の制限をされているわけでもないのに・・・
かなりの妄想癖ですね。笑


-3.11東日本大震災。

当時私は東京都心に住んでおり、地震が起きたその後、外出先から愛猫の安否のことだけを脳裏に浮かべながら、
余震で揺れる道を、ただひたすら必死に歩き続けました。
自分の持っている最大限の速さで。

ようやく辿り着いた部屋の扉を開けると、その中の様子は食器棚が見事に倒れており、食器のほとんどが割れた状態、
そして、愛猫用にたっぷりのお水を入れていた容器が倒れ、部屋が水浸しになっていました。

愛猫は無事でした。
しかし隠れてなかなか姿を現しませんでした。

幸いこの程度の被害で済みましたが、
この出来事は、いつ何が起こってもおかしくないのだ・・・といった現実と恐怖が強く脳に刻まれた瞬間でもありました。

この日を境に、愛猫を残して外出するのが怖くなりました。

外に1歩出たら、何が起こるかわからないそんな危険なことはできない…と、
おかしな考えをした自分が誕生していました。

私のような状況でも、脳は混乱をし、恐怖に押しつぶされそうになったのだから、
もっとひどい被害を受けられた方々のことを思うと、やるせない気持ちに胸が痛みます。

祈りと光



そして私は、死別のみならず、
親兄弟などを始め、愛おしいもの達との生き別れにさえも、悲しみを覚えておりました。

海の向こうに住む妹家族との別れは、毎回、寂しさと悲しみに包まれてしまいます。
今生の別れではないのに。


仏教には「愛別離苦」という言葉があります。

仏教の経典に記された八苦のうちの一つになりますが

愛するものとの間柄に起きる、生別、死別による苦しみ悲しみ辛さを言います。

思い通りにならない世の常のことも、この言葉の意味には含まれています。

まさに自然の摂理です。


私はこの「愛別離苦」の感覚、感情に支配されていた状態で、

それらがどうして起こるのか、

それらをどうしたらコントロールできるようになるのか無知でした。

そしてそれを知りたくて

samatwayog このヨーガの師の個人レッスン初日に、死に対する思いについてお話をさせて頂きました。


するとヨーガの師は教えて下さいました。

「ヨーガは死の準備」だと。

この言葉は衝撃的でした。

このお話はまた次回に。


話は戻りますが、3・11の出来事により

私は、一日一日を大切に丁寧に生きることの大切さを改めて学ばせて頂きました。

一人一人の出会いを大切に。

今この瞬間を大切に生きること。
一生懸命に。

明日、何が起きても不思議はないのだから。

後悔は最小限に。

しっかりと自分の成すべき役割を果たしながら

魂を成長させて生きること。


それが、死への準備にもつながっていくのです。

祈りの画像①

ヨーガインストラクターへの道から真のヨーガ道へ ~自己との対話~

samatwayog ヨーガの師に出会ってたった2回目のときのことです。

2回の単発講座終了後、私はヨーガの師を前に

「ヨーガイントラクターを超えたい」

そんな言葉を発していました。


なぜそのような言葉があの時ふいに口を衝いたのでしょう。

今思うと恐れ多いのですが。笑

心の奥(魂)から自然とあふれ出た言葉だったということは、今でも記憶に残っています。


そこから私は、ヨーガインストラクターへの道から

本当のヨーガの道を歩み始めています。



何故、私はヨーガを学ぶのか?

何故、ヨーガの指導者になりたいのか?

ヨーガの指導者になってどうなりたいのか?

ヨーガというツールを使って何ができるのか?

一体何ができるのだというのだろう・・・

果たして自分に務まるのだろうか・・・


私は何のためにヨーガをするのか?

それで何かの役に立てるのか?


―自分の中にというものがあるのか―



生徒様から「気持ちいい」と言ってもらいたいため?

「スッキリしました」「楽しかったです!」「癒されました」などの声が聞きたいため?


確かにそれらの言葉も有難い励みのお言葉です。
次、また頑張ろうと、ものすごく力を頂きます。
おかげさまで感謝の気持ちが芽生えます。


だけれども、本当の私が目指すところは一体どこ?

生徒様が一時的に体がスッキリして、一時的に心が軽やかになれば、それでいい?


真剣に、自分と向き合う旅が始まりました。



私は、ヨーガインストラクターの勉強をしているとき、心の奥で漠然とした何か・・・

悶々とした気持ちがずっと消せずにおりました。

資格を取得しても、ヨーガでお仕事をしようという意欲が不思議と湧いてきませんでした。

一体なぜ?

それは、資格を取得しても、自信がなかったからです。

体を動かすエクササイズ的なことはかろうじて教えさせて頂くことはできたとしても、

本当のヨーガを教えることはできない。


・・・あぁ私はヨーガの何も知らなかったのだ。。。

そのことに気づいたとき、悶々とした気持ちがサーッと離れていきました。

「ヨーガの何も知らなかった」

それに気づかせてくれたのが、Juna先生(ヨーガの師)でした。



ヨーガとは、生き方そのものであり、生き方の智慧であります。

ヨーガの実践を通して、本当の自分、本当の力を顕在化させ、魂を成長させていくのだそうです。

そして、魂を成長させるために、どんな状況にも耐え得る肉体と精神を養うためのツールがヨーガです。

自然の摂理を受け入れるために正しい真理を学び、生きる力を育む。

そんな壮大な智慧を、そう簡単に学べるわけがありません。


これは、大きな気づきでありました。


もし私がこのお教室に出会わなかったら、未だ悶々とした気持ちを抱えたまま、

さまざまなヨガスタジオやヨガのワークショップをさまよい続けていたかもしれません。



遠回りをしないように、正しい道へと導いて下さる師の存在はとても大切であり

心の支えであります。


そして今私は、核となる部分と向き合っています。

その核となる部分、その答えは、すでに心(魂)の中にあります。

心の奥底に身を潜めているだけです。


あとは一枚一枚、その核を覆っている余計なものをそぎ落としていくだけ。

氾濫している情報に惑わされないように、

師が照らしてくれる道標をたどりながら。

光りの道①
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